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特使のご紹介

木村 聡さん

木村 聡

兵庫県出身。平成30年に、能登高校高校魅力化プロジェクトに興味を持ち、能登町地域おこし協力隊として東京から移住。高校と地域とをつなぐプロジェクトコーディネーター。

インタビュー

“自分事”になった課題が、学びの主体性を育てる。

木村聡さん/兵庫県神戸市生まれ。東京と埼玉で育つ。慶應義塾大学商学部卒。卒業後は大手セラミックメーカー入社。2005年からベネッセコーポレーション。通信教育事業の業績管理業務を担当し、のちにベネッセ教育総合研究所の研究員に。退職後、2018年に石川県能登町に移住。現在は能登高校魅力化プロジェクトのコーディネーター業務に従事。石川県穴水町岩車地区で農漁業・田舎体験を主催するNPO法人「田舎時間」代表も務める。

地方移住でネックとなる要素のひとつが「教育」。都市部と比べて教育機会の格差があるのでは?移住検討者の中にはそんな懸念を抱える人もいるのではないでしょうか。しかし「地方でしかできない学びがきっとある」と木村聡さんは語ります。今回は能登町で進む能登高校魅力化プロジェクトと、ご自身の移住体験談をうかがってきました。

期せずして導かれた、教育の道

北陸初の自治体が運営する町営塾として、地元の小学生から高校生まで約90名(R2.1.14現在)が通う能登町営「まちなか鳳雛塾」。木村さんは2018年からプロジェクト・コーディネーターという立場で、日々子どもたちの教育に携わっています。

ところが「自分が教育に関わることになるとは想像もしていなかった」と、木村さんは振り返ります。
大学では商学部を卒業し、名古屋に本社がある大手セラミックメーカーの事業企画部門で、損益管理や海外工場の支援などを担当。業務自体は順調で、ワークライフバランスも良好でした。けれどそうした日々に、いつしか物足りなさを感じるようになり、2005年に通信教育などを手掛ける「ベネッセコーポレーション」に転職。その理由も教育に興味があったから、というより「これまでの仕事経験を活かしつつ、転職活動の中でご縁を感じたところで働こうと当時決めていて、偶然出会った」からなのだそう。

転職後は東京本社で通信教育事業の業績管理部門に所属。その後、社内の教育総合研究所の事業管理を担当するようになっていたある日、「研究の方もやってみないか?」と上司から声が掛かります。「ちょうど島根県隠岐諸島の海士町で高校魅力化プロジェクト(*1)がスタートした頃で、地方での新しい教育のあり方を考える場面に立ち会う機会がありました。自分自身、もともと地域活性化には興味がありました。そこに、教育を通して地域を活性化するということへの関心が自分の中で大きくなり、研究にも挑戦してみようと」。ここから加速度的に、木村さんは“教育”にコミットしていくことになります。

(*1)高校魅力化プロジェクト…主に過疎地の高校を魅力的な存在に立て直し、人口流出を止め、未来社会を担う人材づくり拠点としていくプロジェクト。プロジェクト内容としては、その地域・学校でしか学べない独自のカリキュラム制作・実施や学力・進路を支援する公営塾の設置などがある。

「田舎時間」で出会った“根っこのある人”たち

「田舎時間」での農業体験の様子

「教育」と同等に、今の木村さんを語る上で欠かせないキーワード「能登」との出会い。その巡り合わせは2005年に知人の紹介で参加した、「田舎時間」という東京のNPO法人が主催する石川県穴水町岩車地区での農漁業・田舎体験プログラムでした。今日では“都市部の人が参加する農作業体験プログラム”は百花繚乱ですが、当時としては珍しい先駆的な取り組みと言えます。

稲刈り体験。写真は伝統的な「はざ干し」

「それまでは能登のことはほとんど知らなかった」という木村さん。しかし、稲刈りやカキ貝の水揚げなど、地元の人と共に汗を流し、酒を酌み交わし対話する中で、いつしか能登の魅力に引き込まれていきます。「海や自然の美しさといった環境はもちろん、能登の人のおもしろさに魅せられましたね。なんというか“根っこ”を持って生きているというのかな」

ご縁の恩返しをするように、木村さんは現在「田舎時間」の代表を務め、移住した今では自身が受け入れ側として、都市部の人々と能登をつなぐ活動を続けています。

能登半島の内浦(東側)の穏やかな海

移住の決め手は、“タイミング”と“やりがいある仕事”

そして、初めて「田舎時間」に参加してから13年の月日を経て2018年3月、ついに木村さんは家族とともに能登に移住してきます。

「移住自体は数年前から考えてはいましたが、長男の小学校入学がひとつのタイミングかなとは思っていました。途中で転校させるのも可哀相なので『ここで移住しなかったら、きっと今後できないね』と夫婦で話していました。そして同じ時期に、自分にとって働きがいのある『能登での高校魅力化』の仕事に出会えたことが大きいです。地方での新たな教育のあり方を考えるというテーマに取り組める環境はとても魅力的でした」

現在は移住者向けに町が用意する「能登町・仮住まいの家」で暮らす木村さん一家。「能登は週末に祭りやイベントも多く、こちらに移住してから暇だと感じたことは一度もないですね。近所の方々もとてもやさしく親身に接してくれるし、子ども達ものびのびと育って楽しそうです」と能登暮らしに大満足のようです。

町内で唯一残った高校の存続危機

木村さんが着任した、能登高校魅力化プロジェクトのコーディネーター。いかにこのプロジェクトを通して能登高校を地域にとって価値あるものに高めていくか、木村さんは高校と地域との連携事業を担当しています。
「まちなか鳳雛塾」はプロジェクトの施策として能登町が運営する塾。設立の背景には、少子化の中で統廃合を繰り返し、町内に唯一となった「能登高校」存続の危機があり、生徒たちの学力支援が高校存続にとって重要な要素であるという町の認識がありました。また、このプロジェクトには地域の未来に関わるミッションが与えられています。それは「能登高校に進学した生徒たちが町に愛着を持ちながら学び、将来的に地域のために活躍してくれる人材を育てる」というもの。そのため、能登高校魅力化プロジェクトでは教科学習の支援以外にも様々なプログラムが実践されています。

元公民館の建物を活用した「まちなか鳳雛塾」

ちゃんと、自分の目で見る

木村さんが手掛ける取り組みのひとつに「鳳雛ゼミ」という高校生向けの地域学があります。高校の授業がない週末に、有志の高校生達が4時間ほど地域の現状や課題について町の大人たちと対話しながら一緒に学ぶというもの。
「初回は“先生に言われて(半強制的に)来ました”という子もいるんですけど、多くの生徒が『楽しかった』『この地域について知らないことがたくさんあると気づいた』と言って帰っていきます。そして2回目からは自分から進んで参加してくれています。子ども達は、周囲の大人から『この町には何にもない』って言われて育ってきたけれどそれは自分の言葉ではない。生まれ育ったこの地域のことを心から嫌いだと思っている子なんて少ないんですよ。ゼミで取り組んでいるのは『ちゃんと自分の目で能登をよく見てごらん』というようなことですね」

「鳳雛ゼミ」の様子

2016年の発足から4年目、「能登高校魅力化プロジェクト」の成果は着実に表れています。一昨年には開校以来初めて能登高校普通科の受験者が定員を上回り、大学進学者数も増加中。そして何よりこれまでは「他に地元の高校がないから」という消極的な進学理由を耳にしていましたが、最近は「生まれ育った地域で、地域の方々に支えられながら学びたいから、能登高校を選ぶ」というポジティブな声を聞くことも増えています。

「まちなか鳳雛塾」の教室

「この街で学ぶ、この街に学ぶ」

自身は都市部で教育を受け、前職では子ども達の教育実態を研究してきた木村さん。懸念されている都市部との教育機会の格差や、地方で学ぶ意義をたずねました。
「従来通りの詰め込み型の教育を受けさせたいという人は、もしかしたら都市部にいた方が良いのかもしれない。けれど、子どもたちが生きる変化の激しい、予想できない未来社会を見据えて、子ども自身の“人間力”や“生きぬく力”を育みたいというのであれば、地方での教育にも良い面が多いと私は考えています。それに今はICT教育(*2)も進んでいますし、本人さえ望めば、どこにいてもいわゆる“高いレベルの教育”も受けられますから」
(*2)ICT教育…パソコンやタブレット端末、インターネットなどの情報通信技術を活用した教育手法

人口約17,000人の能登町は年々高齢化が進んでいる。

「この町には、高校生でもわかる身近なところに、“見える課題”が山積みです。その課題をどういうふうに自分事として捉え、自らの学びと成長に生かしていくか。そういう意味では、こんなにおもしろい土地はない」
人口が減っている、里山が荒れている、祭りが続けられない–…。そんな切迫した地域課題を自分事として捉えて初めて、学びの主体性とは発現してくるものなのかもしれません。

どこに行っても通用する、自分の「軸」を。

最後に木村さんから、能登町の子ども達、そしてこれからやってくる子ども達へのメッセージをいただきました。
「せっかくこの町で育つなら、町の現状・現実をしっかりと見つめてほしい。現状では高校を卒業して一度は町の外に出る人が多いと思うけれど、この町で得た知恵や力を自分の“軸”にして、他の土地に行っても、自分の目と心と体で判断し本質を捉えることのできる人になってほしい。その結果として、『この町は私が活躍する場所ではない』と自分で判断したのなら、それはそれでいいと思うんです。でももし町に愛着があったなら、町の外からだっていろんな形で町に貢献することもできるでしょ?自分と地域の未来のために、誰に言われたでもない、自分の“軸”をこの町で育んでいってほしいですね」