中川 生馬さん、岩崎 哲好さん

中川 生馬さん(写真左)
田舎への“旅”と“ライフスタイル”の2つを軸に、広報、ライター、ブロガー、ウェブ制作、田舎体験、地元産食材の販売サポート、中長期滞在可能な“住める”駐車場「バンライフ・ステーション」・車中泊スポット・シェアハウス・コワーキングスペース・田舎暮らし体験など含めた多目的・多用途の「田舎バックパッカーハウス」の運営など、フリーランスとして様々な事業を手掛けている。
約10年間、中小やグローバル企業での広報職を経て、2010年10月、都会以外のライフスタイルを探求するために日本の“田舎”を中心にバックパッカー旅へ。2012年、旅に“動く拠点”ハイエースを導入。2013年5月、能登の人口約120人の農山漁村 穴水町岩車に移住。
現在(2020年)、車中泊・テント泊スポットのシェアリングサービスCarstayの広報担当。
ブログ「田舎バックパッカー」を運営。フリーランス/個人事業主。米オレゴン大学卒。東京都出身、神奈川県鎌倉育ち。
岩崎 哲好さん(写真右)
岩車地区では近年、移住者が増えており、移住者に対して、区内の空き家を紹介している。
中川 生馬さんSNS
インタビュー
ライフスタイルはひとつじゃない。生き方の選択肢を広げたい。
パソコン操作を教えたり、そのお礼に船に乗せてあげたり––。移住者である中川生馬(いくま)さんと元岩車区長の岩崎哲好さんは、年齢こそ親子以上に離れてはいるものの「良い友達」なのだと、岩崎さんは笑います。
中川生馬さん(左)
東京都出身、神奈川県鎌倉育ち。米オレゴン大学卒。東京で約10年間企業の広報職を担当し、2010年10月に都会以外のライフスタイルを求め日本の地方を中心に訪ねるバックパッカー旅へ。2013年5月、穴水町岩車に移住。
岩崎哲好さん(右)
石川県鳳珠郡穴水町出身。元穴水町岩車区長。左官職人として長年働き、退職後は牡蠣漁などを営む。移住者の住まい探しなどの相談に乗っている。
“田舎暮らし”の真実を知りたくて始めた「田舎バックパッカー」
中川さんが初めて穴水町を訪れたのは2010年の10月。東京でのサラリーマン生活を辞め、地方を訪ね歩いていた旅の経由地だったそう。
「旅を始めたのは、田舎でのライフスタイルの“リアル”が知りたいという想いから。元々田舎暮らしに興味はあったのですが、人づての話だと『田舎には仕事がないし、住むのは難しい』と聞く。一方でマスコミの情報では、まるで夢の世界のように田舎暮らしが語られていて。何が真実なのか、自分の目で見てみたいと思ったのがきっかけです」
地元住民と直接コミュニケーションをとるために、中川さんはあえて公共交通機関と徒歩での旅路を選びます。「歩いていると、地元の人との遭遇率が車とは全く違います。10分に一回は立ち止まって、誰かと話していました(笑)。そこでのご縁は能登を離れた後も続いて『今どのへんにいるの?』と連絡をいただいたり、嬉しかったですね」(中川さん)
全国を旅して歩いていた頃の中川さん夫妻。
(写真提供:田舎バックパッカー)

奥能登・珠洲での旅路。(写真提供:田舎バックパッカー)
そして2013年5月、故郷である神奈川県鎌倉市から、奥さんの結花子さんを連れて穴水町に移住することを決断します。日本各地を見てきた中川さんが、穴水町を移住先に選んだ理由とは。「日本の田舎はどこもすごく魅力的で、移住先は正直迷いました。その中で穴水町を選んだのは、総合的に考えた結果です。国土は小さい日本です。アメリカやロシアに行くわけではなく、あまり考え込まず“引っ越す”くらいの気軽な感覚で行く方が良いのかなと」
ターバン姿に、大きなリュック。能登ではちょっと見かけない風貌の旅人の来訪に、当初穴水の住民はどんな反応だったのでしょうか。
「この町は年寄りばっかりやで、若い人が来てくれたらそりゃぁ嬉しいですよ。今でも中川さんがお客さんをよく連れて来てくれますが、みんな“すごいなー”って喜んでますよ。一緒になって漁港でバーベキューしたりね」と岩崎さん。ほのぼのとしたストーリーから、地域としての寛容性が伝わってきます。
地元の人にとっての“あたりまえ”が贅沢
現在、中川さんは穴水町で暮らしながら、旅とライフスタイルを軸に“田舎暮らしのリアル”を伝える様々な活動を展開しています。基盤となるのは、ブログ「田舎バックパッカー」の運営をはじめとした情報発信。企業広報を担当していた前職でのスキルを生かし、様々なメディアを活用して、能登のライフスタイルを自身の目線から綴っています。実際に、中川さんのライフスタイルに共感し、穴水町にやってきた移住者もいるほど。
中川さんのブログ「田舎バックパッカー」
そして「田舎ライフスタイル体験」として、自らがアテンドを担当し、田舎暮らしを都会の人たちに体感してもらうツアーも展開。「情報発信にも限界があると思っていて。“読んで終わり”ではなく、実際に体をこっちにもってきてもらって、能登を体感してもらうことも大切にしています」
牡蠣漁師体験、禅寺での半自給自足体験、そして酪農など、地域の協力を得てローカルな体験をコーディネートするこのツアー。リピーターも多く、年間約80名を受け入れています。「釣った魚をすぐに捌いて食べたり、船の上でパーティーをしたり。地元の人にはあたりまえの日常が、都会の人たちにしてみればものすごく贅沢な体験なんですよね」(中川さん)
牡蠣漁師体験(写真提供:田舎バックパッカー)
釣った魚で洋上パーティー(写真提供:田舎バックパッカー)
地域の余白を活用した「バンライフステーション」
そして、中川さんが今新たに力を入れているプロジェクトは「バンライフステーション」。近年増えている主に箱型の車(バン)で旅・仕事・生活を楽しむ“バンライファー”に向けた施設で、リビング、キッチン、シャワーなどを共有利用することができる民家の駐車場に、施設利用者が所有する車中泊仕様の車を“部屋”として駐車し、長期間の車中泊を送ることができます。その日本初の事例が、穴水町川尻地区で始まっています。この施設には、シェアハウスやコワーキングスペースなどの機能もあります。まだオープンしたばかりで、現在、住人を募集中だそう。
車中泊スポットや、キャンピングカーと車中泊仕様の車の共用サービスなど“バンライフ”に関するサービスを展開するスタートアップ「Carstay株式会社」との共同プロジェクト。Carstayは県内で白山麓地域や金沢工業大学とも活動を開始しつつある。(写真提供:田舎バックパッカー)
「ライフスタイルはひとつじゃない。これは自分自身が東京や鎌倉を離れ、旅や田舎暮らしを始めて実感していることです。“バンライフ”も、生き方の選択肢を広げる活動の一環と捉えています。車の中で住めるなら、どこに行っても生きていけるはずだから」
家族でバンライフも楽しむ中川さん。(写真提供:田舎バックパッカー)
「若い人が考えることは本当に面白いですよ。私らじゃ考えつきもせん、新しい暮らし方ですよね。バンライフステーションができることで、一・二日じゃなく、長くこの町に滞在してくれるようになったら地元の人も喜ぶよね」と岩崎さん。
かく言う岩崎さん自身も、若い頃は全国各地で出稼ぎに行っていた左官職人。いわばノマディック(※)な働き方の実践者だったと言えます。中川さんと気が合うのには、そんな背景もあるのかもしれません。
(※)英語で「遊牧の、放浪の」の意。
“田舎”も“都会”も、変わらないスタンスで。
東京で長らく“企業戦士”として活躍してきた中川さんは、「今の自分があるのは東京での経験があったおかげ」とも語ります。地方の魅力を発信しながらも、都会の価値も身をもって知っている。そんなニュートラルな目線を持つ中川さんから移住者へのアドバイスは「都会にいるときと変わらないスタンスで移住してほしい」
岩車の漁港にて。(写真提供:田舎バックパッカー)
「変な“期待”や“偏見”を、移住先に対して持たない方がいいと思います。田舎暮らしはスローどころか忙しいし、都会にも田舎にも当然ながら色んな人がいるわけで。その人の在り方次第という意味では、僕は都会も田舎も正直変わらないと思っています。“期待”はあるものではなく、自分でつくっていくものだと思うから」
ただ同時に「地方の方が選択肢は多い」とも中川さんは続けます。「田舎だと食でも何でもゼロから始まるところを見られるし、都会では失われてしまった文化にも触れられる。行こうと思えば、都会にはいつだって行けるわけですし。皆さんが思っている以上に、物流、交通、教育、買い物などのネット含めあらゆるテクノロジーを介したサービスは“豊か”で、飛躍的に進化しています。『田舎に仕事はない』『田舎は不便だ』という田舎や都会に差がある時代は既に終わっています。子どもたちには、どちらかでなく、両方を見た上で自分で選択してほしいと思っています」
自由なライフスタイルを開拓し続ける“風の人”中川さんと、多様性を受容する“土の人”の岩崎さん。新たな生き方を模索している方は、ぜひ奥能登の小さな港町で、このお二人を訪ねてみてください。