坂本 信子さん

築180年の自宅を使い、平成17年から地元の食材を使った料理を提供する古民家レストランを経営するほか、能登丼事業協同組合理事長として能登丼をPR。若者の滞在・就業体験「トライアルステイサポート事業」の受入に協力。
インタビュー
「終点」じゃなくていい、ここが人生の「通過点」になれば。
「典座」女将/坂本信子さん
能登半島の最先端にあり、本州では最も人口が少ない市(*)である珠洲市。しかし、この“奥地”に、今移住者が集いつつあり、移住者同士のコミュニティも生まれているといいます。今回は珠洲市の「いしかわ移住応援特使」であり、飲食店「典座(てんぞ)」を営む坂本信子さんを訪ねました。
(*)平成27年国政調査(総務省)結果より
坂本信子さんと、夫で珠洲焼作家の市郎さん。
「珠洲焼」は珠洲郡内で生産されていた、中世日本を代表する焼き物のひとつ。
室町時代以降途絶えていたが、昭和後期に再興された伝統工芸。
移住前に珠洲を訪れたのは「たった1回」。
坂本さんは新潟県の出身で、長野県で看護師として働いていました。たまたま東京で開催されていた石川県の伝統産業展を訪れた際に、珠洲焼作家であった市郎さんと出会い、結婚。なんと、嫁入り前に珠洲を訪れたのは「たった一回」だったといいます。
「私は移住希望者でもなんでもなかったのですが、深く考えずに来ました(笑)。“移住”って言葉って、なんだか重い言葉ですよね。もっと気軽に来たらいいのにと、いつも思います」。
坂本さんが営む食事「典座」。
2005年から、地元の食材を使用した料理を提供する「典座」を開業。自身が移住者ということもあり、お店を訪れる県内外のお客さんから珠洲の移住事情について尋ねられることも多く、気づけばかれこれ10年以上前から移住相談に乗るようになったといいます。
また、滞在中の仮住まいとして、自身で営むゲストハウスを長期で貸し出すことも多く「ここにいる間は、珠洲のお母さんになった気持ちで引き受けています」と坂本さん。
能登半島の最奥地は、“開けて”いた。
能登半島は、古くからの伝統やしきたりが色濃く残る土地。だからこそ、半島の最も奥地といえる珠洲への移住には、相当の覚悟が必要なのでは、と思いきや−…?
「覚悟とかしなくても全然大丈夫」と坂本さんは軽やかに笑います。
珠洲は半島の先端ということもあり、海に囲まれていて地域全体に開放感が。
「一括りに“能登”といっても、地域によって雰囲気は全然違います。同じ地域内でも地区によって違うくらい。その中でも、珠洲は一番ゆるいかもしらんね。おおらかというのか、甘いというのか。(笑)だから、珠洲に関して言えば、誰かに口利きしてもらうとか、移住前にあれこれ根回しをしたという話はあまり聞かないかな。みんな自分で家も決めて、事業起こして、知らないうちにご近所さんと仲良くなってますよ」。
珠洲はかつて、北前船などにより様々な文化がもたらされた地域であり、大陸に対しては開口部の役割を果たしてきた歴史があります。「だからこそ、半島としては一番奥地ですが、外からの人やモノに対してオープンなのかもしれんね」とご主人の市郎さん。珠洲を訪れて感じる開放感は、そういった歴史的背景も関係しているのかもしれません。
珠洲は移住ビギナー向けの土地?
「珠洲は本州では一番人口が少ない市で、過疎化も進んでいます。みんなそれが分かっているからこそ、若い人を大切にしなきゃと思っている。でも自分たちの子どもはみんな進学や就職で外に出ていってしまうから、珠洲に来てくれる移住者の子がいれば可愛がるし、その子が困っていたら助けてあげたいと思っちゃうんです。物件も安いし、移住ビギナーの子に珠洲は向いていると思います」
「それに、嫌になったらいつでも出て行けばいいんだよ」と話す坂本さん。
そんな土壌があるからか、珠洲市は移住者の定着率も高いといいます。移住者同士の交流も盛んで、コミュニティも生まれているそう。 「かれこれ10年選手になる移住者も多いかな。最近では珠洲市内に移住者の子が始めたシェアハウスも増えていて、そこに集まって入居していたりしますよ」。
試し住みしながら働く「いしかわトライアルステイ」。
2018年に石川県がスタートした試みで、試し住みをしながら収入を得て働き、地方の魅力を発見してもらうことを目的とした「いしかわトライアルステイ」。坂本さんも「典座」としてこのプロジェクトに参画し、約1年の間に10名の参加者を受け入れました。
「いしかわトライアルステイ」のホームページ。
「この試みはとてもよかったですね。真剣に移住を検討されている方も多く、具体的な移住の話も進みました。当初設定されていた期間は2週間だったんですが、居心地がよかったのか、期間を延長していく参加者さんも多くて」。
実際に、「いしかわトライアルステイ」を利用して「典座」で働いていた参加者の青年が、今年(2019年)珠洲に移住してくることが決まったそう。これからは典座で自慢のフレンチの腕を振るうそうです。その他にも、坂本さんに結婚相手を紹介するために珠洲を再訪する参加者もいたりと、温かな交流が今なお続いています。
「典座」にて、もてなしの準備をする坂本さん。
仕事は自分でつくりだす。ダブルワークも珠洲の“ふつう”。
ところで、地方移住では「やりたい仕事が見つからない」という悩みも多いもの。移住者のみなさんはどうしているのでしょうか。
「どこかに勤めるというよりも、飲食店を開いたりゲストハウスしたり、自分で仕事をつくり出している子が多いですね。とはいえ、珠洲では冬場の営業は厳しいので、その間は別の仕事をしたり、冬季は海外に行っちゃう子もいます」。
また、珠洲ではもともと半農半漁の暮らしがベースだったため、複数の仕事を掛け持ちする“複業”も一般的だそう。
「珠洲では漁師だけとか、農家だけを専業としている人はほとんどいないと思います。だから、会社員もみんなスーツじゃなくて作業着。地方移住っていうと、のんびりしてるイメージがあるかもしれませんが逆です。田舎は忙しいですよ!海にも山にも、やることがいっぱいありますから」と坂本さんは快活な笑顔を見せる。
坂本さん自身も「典座」の女将を務めながら、食堂やゲストハウスも営む。
写真は「いつの間にか集まってきた」という猫ちゃんと
何にもないから、なんでもつくれる。
「総括すると、珠洲には何にもないんですよ。でも、何にもないからこそ、これから何でもつくり出せる。だから若い子には珠洲が向いているんじゃないかなと思うんです。珠洲は人生の終着点じゃなくていい、きっと良い通過点にはなると思います。家賃もとても安いので、定住しなくても、例えばセカンドハウスとか、アトリエ的な使い方もできます。とにかく、来てみたらなんとでもなりますよ」
海を渡る風のように軽やかな坂本さんの言葉が、これまで数々の移住者の背中を押してきたことを容易に想像できた今回のインタビュー。最後に移住者にアドバイスをお願いします。
「うーん…。強いていうなら、珠洲で暮らすなら車は必要、というくらいかな。ここで生きてく上で、そんな難しいルールなんてありません。あまり慎重に考え込まず“一度は遊びにおいで”って言いたいですね」
「私たちだって、そろそろ暖かいとこ移住したいねって、言ってるくらいだからね」と笑い合う坂本さん夫婦。