» ストリートカルチャーのテイストを九谷焼の振興に活かす|吉田良晴さん

ストリートカルチャーのテイストを九谷焼の振興に活かす|吉田良晴さん

2019年5月、石川県小松市若杉町に開館した、
複合型の九谷焼創作工房「九谷セラミック・ラボラトリー(通称セラボ・クタニ)」で、
クリエイティブ・ディレクターを務めるのが、「小松市地域おこし協力隊」として東京から移住してきた吉田さんです。
吉田さんは、スケートボーダー、デザイナー、ミュージシャンとして活動してきた異色の経歴の持ち主。
スケートボードやダンスミュージックに根差すストリートカルチャーのテイストを九谷焼に融合させて、
斬新なデザインの九谷焼ブランドを発表しています。
ご自身の経歴を協力隊員として、九谷焼の振興にどう活かそうとしているのか、その想いを伺いました。


#複合型九谷焼創作工房「九谷セラミック・ラボラトリー」

小松市地域おこし協力隊/吉田良晴(よしだ よしはる)さん
青森県三沢市出身。中学生のときスケートボードと出会う。
高校卒業後、上京し、プロのスケートボーダーを目指す。
その後、ダンスミュージックユニット「OPSB」を結成、音楽活動を行う。
新しいインスピレーションを求めていたときに「地域おこし協力隊」の制度を知り、
小松市地域おこし協力隊に応募。セラボ・クタニで勤務する。2021年度は三期目を迎える。
奥様とお子様1人の3人暮らし

〇スケートボーダーに、ミュージシャンとかなり異色の経歴ですね

生まれ育った青森県三沢には米軍基地があって、ストリートカルチャー的なものが身近にありました。
スケートボードは、今でこそオリンピック種目にもなっていますが、
僕がしていたのは競技としてのスケートボードではなく、ファッション含めて、「かっこよさ」を追求するものでした。
だから、僕にとってのスケートボードは、自己表現の場であって、
いつも「ほかの人がしていない、斬新なものを」といったことばかり考えていました。
スポンサーがついてくれ、23歳から25歳までの3年間、
スケートボード専門の雑誌やビデオ作品に出演するなど、活動しました。
でも、当時はストリートカルチャーへの認知が低く、それだけで生活していくことは難しいことでした。
スケートボードが縁で知り合った音楽仲間と結成したのが、ダンスミュージックユニット「OPSB」です。
CDやレコードをリリースし、全国のクラブやイベントでライブを行うミュージシャンとしての活動を10年間続けました。


#スケートボーダーとして活躍していた吉田さん

〇そこからどう「地域おこし協力隊」へとつながっていったのですか?

「OPSB」のライブで全国を巡っているとき、風情ある街並みや建物に出会ったりすると、
初めての場所なのにすごく気持ちが落ちついたんです。
「もしかしたら、これが自分のルーツなのでは?」。
そんな思いを感じるようになりました。
同時に、スケートボードにしろ、ロックやジャズにしろ、自分が今まで熱中してきたものは、
全部アメリカが本場のもので、日本のことについて何一つわかっていないことに気付きました。
一人の日本人として、「日本のことをもっと知りたい」、
「クリエイターとして、新しいインスピレーションが欲しい」と感じていたとき、
ソロライブで訪れた珠洲市のカフェで、地域おこし協力隊として活動している人に出会い、
地域おこし協力隊の制度を知りました。

〇吉田さんが「小松市地域おこし協力隊」に応募するきっかけを教えてください

「日本を知るなら、文化の深い地方に移住してみたい」と考え、
全国で募集している地域おこし協力隊について、調べました。
でも、求められている活動内容は、農業や漁業関連が多く、
そうした分野では自分のスキルや経験は活かせないと感じました。
協力隊として活動するにしても、自分の経験が活かせるクリエイティブな分野の仕事がしたかったんです。
なかば諦めていたとき、「九谷セラミック・ラボラトリーの運営」を活動内容とする
「小松市地域おこし協力隊」の募集に出会いました。
資料には、新国立競技場の設計で知られる隈研吾さんが手掛けた建物の外観パースが添付されていました。
すごくクリエイティブな建物のデザインに、直感的に「これだ!」と思いました。

〇小松市からは、協力隊としてどんなことを期待されていましたか?

まずは「セラボ・クタニ」の運営を軌道に乗せること。
そして、「セラボ・クタニ」を活用した九谷焼の振興です。
一般的に協力隊の活動は、何もないところからスタートすると思いますが、
自分の場合は、既に「セラボ・クタニ」という素晴らしい施設があったので、
逆にものすごいプレッシャーを感じました。
思いついたのは、「セラボ・クタニのアーティスティックな建物の雰囲気を九谷焼に活かせないか」ということでした。
伝統的な九谷の絵付けは、芸術的で、生まれた当初はすごく前衛的だったと感じます。
ですが、今の時代は、多用的で、シンプルで、モダンなデザインも好まれます。
若い人にも興味を持ってもらえる、オシャレでかわいく、そして斬新な、
これまでにない九谷焼を創作することを自分の使命にしました。


#九谷焼の職人と打ち合わせをする吉田さん

〇そうして誕生したのが「九九谷(くくたに)」という新しい九谷焼のブランドですね

そうです。「九九谷」は、掛け算の「九九」からインスピレーションを得たもので、
これまで九谷焼とあまり縁がなかったものと九谷焼を掛け合わせて、新しいものを産み出そうという試みです。
2020年9月に行った初めての展示会では、九谷焼に僕が歩んできたストリートカルチャーのテイストを
ミックスさせたスケートボード型の置物と九谷焼のスピーカーを発表しました。
「九九谷」の認知度向上が、2021年度の課題です。作品に打ち込む職人さんの真剣な姿に間近に触れ、
ものづくりの原点を見た想いになりました。作品にかける職人さんの想いを大切にしながら、
僕自身が「おもしろい」、「楽しい」と感じられる作品を世に送り出したいです。


#「九九谷」が発表したスケートボード型の置物とスピーカー

〇コロナ禍により、「セラボ・クタニ」の運営などに変化はありましたか?

開館当初は、首都圏や海外からの来館者が多かったのですが、
コロナによってそうした方々の来館はめっきり少なくなりました。
逆に、近場でのお出かけ需要から、北陸3県の方々の来館が増えました。
地元の人たちの来館が増えたことは、すごく良かったと感じています。
九谷焼に限らず、伝統工芸品を振興には、地元の人たちにその良さを気付いてもらうことが不可欠です。
「セラボ・クタニ」のホームページには、オンラインショップもありますが、ネット上で完結するのではなく、
実際にこの施設に足を運んでもらって、九谷焼の製造過程を学んだり、
絵付け体験やろくろ体験といったワークショップを楽しんだりすることで、
九谷焼がより身近なものになると信じています。
「セラボ・クタニ」への来館を含めて、九谷焼との関係人口を増やしていくことが、
九谷焼の振興だけでなく、関わる職人さんの利益につながると考えています。


#九谷焼の魅力が再発見できる「セラボ・クタニ」

〇ご家族で小松市に移住されましたが、暮らしに変化はありましたか?

当初、難色を示していた妻も今の暮らしに慣れたようです。
妻は元調理師なので、石川の食材のおいしさに感動しています。
子育ての環境の点でも、自然が多くていいですね。
今、「セラボ・クタニ」の近くで、マイホームの購入を検討しています。
青森で暮らす母も、いずれこちらに呼びたいと考えています。

〇2021年度で協力隊としての任期が終わりますが、そのあとはどのようなビジョンを描いていますか?

「九九谷」に携わっていきたいと考えています。
作家さんとオリジナルを求める飲食店や販売店などの間に入る、
つなぎ役のような仕事にも興味があります。
「セラボ・クタニ」の運営を通して、多くの作家さん・職人さんと知り合う機会を得ました。
そうした縁を活かしていきたいと考えています。
それから、引き続き音楽やスケートボードの仕事にも携わっていきたいと思っています。

 

〇これから「地域おこし協力隊」を目指す人たちに向けてアドバイスを

「地域おこし協力隊」は、スローライフや単なる田舎暮らしとは違います。
自分自身のスキルや経験を地域のためにどう活かせるかを考えることが大切です。
あと、地域ごとにある独特なしがらみや人間関係などを受け入れる柔軟さも必要だと思います。