小山 基さん
大阪府出身。平成27年に能登島の体験ツアーに参加したことをきっかけに東京から移住。移住前は東京の環境コンサルタント会社に勤務。地域おこし協力隊として能登島の情報発信等を通じた誘客・移住促進に取り組み、協力隊の任期が終了した現在は、能登島でのサイクリングツアー等企画・運営を行う。セミナー講師としても協力。
インタビュー
豊かな島の暮らしを、次の世代へ。
小山基さん/1984年、大阪生まれ。大阪府立大学大学院卒業後、環境コンサルタントとして東京、小笠原諸島などで勤務。能登島の体験観光プログラム「うれし!たのし!島流し!」への参加をきっかけに2015年に能登島に移住。地域おこし協力隊として、地域の課題に取り組んできた。任期を終えた現在は、サイクリングツアー「クラシノサイクル」の運営、耕作放棄地でつくる酒米から日本酒「純米 能登島」を作るプロジェクトなどに携わる。ノトノオト代表。
どこまでも青い海と空。そのロケーションを求め、多くの観光客が訪れる能登島は、移住先としても人気です。しかしこのような能登島でも、住民の高齢化と人口減少は待ったなしで進んでいます。今回は2015年に移住してきた小山基さんに、移住までのいきさつや能登島での仕事事情など、島暮らしのリアルをうかがってきました。
小笠原諸島で体験した価値観の変化
大阪で生まれ育った小山さんが島暮らしに目覚めたのは、大学院卒業後に勤めた東京の企業で、環境コンサルタントとして赴任した小笠原諸島での生活。
「小笠原まで東京から船に乗って25時間もかかるんですが、島での暮らしはとても豊かでした。仕事が終わった後に島民がライブを開催したり、各々料理を持ち寄ってホームパーティーを開いたり。自分たちで“楽しみ”をつくり出していたんですね。そこで『楽しく暮らすにはお金が必要』というこれまでの価値観が大きく変わりました」
能登島の魅力を“刑”で楽しむ「島流し」
そんな小笠原での赴任期間が終わり、東京本社に戻ることになったとき「子育ては小笠原のような豊かな生活ができる地方でしたい」と、小山さんは本格的に地方移住を検討し始めます。そんな矢先、東京で参加したNPO法人が開催している「地域イノベーター養成アカデミー」(※1)で能登のプロジェクトに関わり、そこで能登島の体験ツアー「うれし!たのし!島流し!」の存在を知りました。
※1 地域イノベーター養成アカデミーとは
NPO法人が開催している地方や出身地で、地域を盛り上げる仕事をしたいと考えている若手社会人を対象とした、短期集中実践型プログラム。地域でのフィールドワークと集合研修で構成される。
「うれし!たのし!島流し!」とは、能登島が江戸時代に流刑地だった歴史を逆手にとって企画されたユニークな体験ツアー。「とことん泥まみれの刑」として田植えをしたり、「いきなり朝獲れの魚しか食べれない刑」では新鮮な地元の魚介類に舌鼓。元々は能登島観光協会青年部が主催していたもので、現在は運営主体が「能登島島おこし団」になり、小山さんも事務局として携わっています。
2015年度のツアーに参加した小山さん一家。「このツアーに参加したことで、島での知り合いも増え、自然にコミュニティにアクセスできたように思います。参加者にはリピーターも多く、さらには“自主流れ”といって後日個人的に能登島を訪れる人も多いんですよ」
“子育てしていくイメージ”が見えた瞬間
魅力的なツアーコンテンツもさることながら、最終的に小山さんに移住を決断させたのは“島の子ども達の姿”だったと言います。
「島の子どもたちが、ずっとうちの子と遊んでくれていたんです。年上の子が年下の面倒を自然にみていて、大人もよその家の子でもしっかり叱る。その光景を見たときに、ここで暮らすイメージが湧いたんです。正直、景色がよくて、食事が美味しくて…というのは日本ならどこの地方もあまり変わりないと思うのですが、“子育てをしていくイメージ”を持てる地域は意外と少ないのかなと」
ツアー後は、「北陸の冬は厳しい」と言われていたこともあり、一度だけ冬の能登島を経験しておこうと島を訪れましたが、移住したいという気持ちに変わりはありませんでした。その際に住まいも決まり、ついに小山さんの能登島移住が確定します。
地域の危機をシミュレーション
能登島では「地域おこし協力隊」として生活をスタートさせた小山さん。コンサルタントだった前職のスキルを活かしたプロジェクトのひとつに、集落の現状を可視化したシミュレーション分析がありました。
「空き家の数や将来人口、一人暮らしの高齢者数などを算出していったんです。そうすると、このままの状況が続くと何年後かには祭りができなくなる、というシビアな状況も見えてきました」
小山さんは、移住者が年に1組増えていった場合も試算しました。「移住者が若い夫婦なら、子どもも増えることが期待できるし、若い人が増えるだけでも地域に活気が出てくるはず。まずは、彼らが住めるような空き家を洗い出してみよう」。地域住民とワークショップを開催し、そこで確保できた空き家に、現在2組の移住者が住んでいるそうです。
移住者は“地域のフィルター”を通して
「能登島の空き家は需要がある反面、民間の不動産会社が扱う不動産情報としては上がってこないケースが多いんです。島では集落がひとつの家族のような感覚もあるので、なるべく地域のフィルターを通して移住者を受け入れるような流れがあります。その代わり、一度地域に入ってしまえば、次の住まいを見つけることはそう難しくありません」と小山さん。自身も現在の住まいは、能登島で3回目の引越しの際に購入した一軒家。移住当初は物件の良し悪しにこだわるよりも、まず地域の一員として認められることが大切なようです。
助け合い、与え合う、島の暮らし。
現在3人のお子さんを育てる小山さん夫婦。奥さんの明子さんも横浜出身とあって、どちらの実家も遠い状況。それでも「移住組のママ友達がいるから、何とかやっていけています」と明子さんは笑顔をみせます。
「保育園のお迎えに間に合わないときに『今日お願い!』と連絡するのなんてしょっちゅう。さらには夕飯までごちそうになることも。実家に頼れないのは確かに大変な面もありますが、ご近所の皆さんに助けられてなんとかなってます」
移住者が多い能登島では、移住者同士はもちろん、地域住民からも温かい手助けをもらうことが多いそう。「お魚や野菜もいただくことが本当に多くて。こんなにありがたい状況に慣れてきている自分が怖いんですが(笑)、作った人の顔が浮かぶ食卓って豊かだなぁと日々実感しますね」と明子さん。
観光化されていない“暮らし”を巡る。
地域おこし協力隊の任期を終えた現在、小山さんは「ノトノオト」を立ち上げ、能登島の魅力を発信する事業を展開しています。その主力となるのが地域密着型のサイクリングツアー「クラシノサイクル」です。
「自転車はローカルな魅力を探るためのツール」と小山さん。畑仕事をするおばあちゃんや、名もなきビュースポット、島民との立ち話など、観光目線では見落とされがちな“島の豊かな暮らし”を自転車でゆっくりと巡ります。
「特に海外からのゲストは観光化された日本に飽きていて『日本の本当の暮らしが知りたい』という気持ちが強いんですね。なので、このツアーはとても喜ばれて『能登島が日本で一番だ』とおしゃってくださる方もいました」
様々な仕事を組み合わせる働き方「百姓2.0」
サイクリングツアー以外にも、子ども向けの里山体験プログラムや日本酒づくり、コンサルティング業など、様々な仕事を組み合わせ、自由な働き方を実践するポートフォリオ・ワーカー(複数の仕事をかけ持つスタイルで働く人)である小山さん。
「昔は能登では農閑期には様々な仕事を組み合わせていて、副業はあたりまえの働き方だったわけで。そこに、現代のIT技術と地域の魅力、そして人のネットワークを組み合わせてアップデートしていけたら。僕はその試みを“百姓2.0”と呼んでいます」
実際に、小山さんは能登島に暮らしながら、東京のクライアントとのプロジェクトも、オンラインミーティングや情報共有アプリケーションを活用し、いくつも成功させています。
また、「石川県は新しい仕事をつくる学びの土壌に恵まれている」と小山さん。
「『能登里山里海マイスター』(※2)や『いしかわ観光創造塾』(※3)『いしかわ自然学校インストラクタースクール』(※4)など、社会人が新たに学んで、さらには繋がれる場がある。これは石川の魅力のひとつと言えると思います」
※2 「能登里山里海マイスター」…世界農業遺産に認定された豊かな里山里海を保全・活用し、能登の明日を担う若手人材を育成するプログラム
※3 「いしかわ観光創造塾」…受講生が将来のビジョンを共有し、ともに学ぶことで企画・実行力を備えた次代の観光分野のリーダーを育成するプログラム
※4 「いしかわ自然学校インストラクタースクール」…石川県の豊かな自然をフィールドとした自然体験プログラムを企画・運営できるインストラクターを育成するプログラム
自身が惚れ込んだ島の暮らしを未来に引き継ぐためには、「暮らしの根幹である“仕事”の選択肢を増やしていきたい」と小山さん。
「いろんな人が、副業で面白いことに挑戦できたら、地域の魅力はもっと上がっていくんじゃないかと思っています。ブドウの房のように多様な働き方をする人たちがゆるやかにつながる状況をつくり出していきたい。そのためにも、まずは僕が実践して、仲間を増やしていきたいですね」
豊かな島暮らしに興味がある方は、是非小山さんを訪ねてみてください。