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空き家活用事例集

堂下さん夫妻

刻まれた時間や物語には“力”がある。

空き家
活用事例

古民家で和食店開業
荒木和男さん
(金沢市)

「酒屋彌三郎」店主・荒木和男さん。

東京での修業時代を経て金沢にUターン
「酒屋彌三郎」の夜景。古民家が生まれ変わり、毎夜賑やかな灯りが漏れる。
「酒屋彌三郎」の夜景。古民家が生まれ変わり、毎夜賑やかな灯りが漏れる。

兼六園や金沢21世紀美術館にもほど近い本多町の路地裏に、ひっそりと「酒屋彌三郎」は暖簾を上げる。老舗料亭が居並ぶ美食の街・金沢にあって、若々しい光を放つ気鋭の和食店だ。
荒木さんは金沢市出身。東京で10年間、下北沢や銀座の和食店で料理人として腕を磨いた後、Uターンして2014年に同店を開いた。
「東京での日々もとても充実していましたが、いざ独立を考えたとき、東京でやる意味が見いだせなくて。そこで地元・金沢に戻ろうと決心した瞬間、不思議といろんなイメージが沸いて来たんです」。

新築にはない価値を求めて。
内見時点での状態。天井や柱、窓枠などの建具やガラスまで店舗に極力利用した。
内見時点での状態。天井や柱、窓枠などの建具やガラスまで店舗に極力利用した。

物件探しは金沢に引っ越してから本格的に始めた。当時利用していたのは町家や中古物件をメインで扱っている民間不動産サイト(※)と、懇意にしている酒屋店主からの空き物件情報だった。もともと、中古物件をリノベーションありきで考えていて、店舗を新築することは全く考えていなかったと言う。
「一度金沢を出て、外から見える金沢の良さに気づけたのも大きかったと思います。金沢には古いものや建物がきちんと残っていて、そこには必ず歴史やストーリーがある。それはとても貴重なことだったんだと、改めて思えて。例えば、窓枠の傷にもそこであった出来事ごとが刻まれている。そんな建物には重みというか、“力”があるなと」

ビジョンを持った物件探し

探し始めてほどなくして出会ったのが現在店舗となっている物件。築年数は定かではないが90年以上は経っているという。
空き家になっていた期間が長かったため、雨漏りをしていたり、土壁が落ちている部屋があったり。状態が良くなかったため、住居としてはなかなか借り手が決まらない難物件だった。
しかし荒木さんは一目で「ここだ」と感じたという。「何も知らなかったのが、逆に良かったんだと思います(笑)。現状がどうこうということよりも、このローケーションに、こんな歴史のある建物が残っていること自体が気に入って」

今回は賃貸契約。契約前から雨漏りをしていた部分などは、オーナーに修理してもらったが、あとの改修費はすべて借り主である荒木さんが持った。不動産会社から紹介されたリノベーションを得意とする設計士と相談しながら、イメージを膨らませていった。
「物件ありきで構想を考えるのではなくて、自分がどんな空間を目指しているのか、あらかじめイメージをもっていた方が良いと思います。そうでないと、物件の状態に左右されて、気が付いたら“これが本当に自分のしたかったことなのか”が分からなくなると思うんです」

ウィークポイントが、斬新なデザインを生む。
大胆な改修を加えたカウンター部分の工事風景。
大胆な改修を加えたカウンター部分の工事風景。

「今回の物件は、部屋ごとに状態の差が激しく、既存の状態とデザイン性の折り合いをつける作業が必要でした。しかし、むしろこの激しい状態の差が、デザインの方向性を決める要因になったと思います」とは、店舗の担当設計者。
伝統的な町家の扉を開いて廊下を進むと、突如視界が開け、吹き抜けのモダンなカウンター空間が広がる。

広々とした吹き抜けのカウンター。料理人が目の前で調理を繰り広げる。
広々とした吹き抜けのカウンター。料理人が目の前で調理を繰り広げる。
現状や柱、床の間などもそのまま利用。
現状や柱、床の間などもそのまま利用。

注力して大幅に改修を加えたところもあれば、状態の良い部屋は畳を張り替えるなど、最小限のリノベーションに留めている。これが新旧メリハリの効いた、新しい町家空間を生んだ。ちなみに。今回の改修に当たっては、タイトな工事期間のこともあり、補助金は一切利用しなかったそう。

現在、「酒屋彌三郎」には県内外からの客足が絶えない。いつも磨き抜かれた調理場からは、ライブ感ある調理の音が響き、それが美味しさの演出ともなっている。そして天井や梁、建具の風合いといった“空間の素材感”もまた、料理に意図せぬ味わいを与えている。
「一度金沢を離れたからこそ気付けた金沢の素晴らしさを、料理というかたちで伝えていけたら」
意図しても決して演出できない「時間」という重みを、荒木さんは空き家を活用することで手に入れた。