» 協力隊での成果、悔しさをバネに山中温泉の振興を目指して起業|篠﨑健治さん

協力隊での成果、悔しさをバネに山中温泉の振興を目指して起業|篠﨑健治さん

石川を代表する温泉地のひとつである加賀市山中温泉は、伝統工芸品の山中漆器の産地でもあります。

篠﨑さんは、「加賀市地域おこし協力隊」として2017年3月から2020年3月まで、地域の資源を活用した

起業プロジェクトの伴走・支援の活動に従事しました。

協力隊の任期を終えた後も加賀市に残り、山中漆器の職人たちの工房を巡るプライベートツアーを企画する

クラフツアー」を起業。また、閉店した喫茶店を使ったシェアキッチンの運営も行っています。

そんな篠﨑さんに協力隊の活動を振り返ってもらうとともに、これから協力隊を目指すみなさんへの

アドバイスをしてもらいました。

 

地域おこし協力隊任期終了後、山中温泉で起業した篠﨑さん

 

元加賀市地域おこし協力隊/篠﨑健治(しのざき けんじ)さん

1987年、神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後は政府系金融機関に入行。

秋田県秋田市、福井県福井市で、主に農家や食品加工業者らの資金調達の相談にのるなど、

事業支援を行ってきた。

2017年3月〜2020年3月、加賀市地域おこし協力隊として活動。

任期終了後も山中温泉を活動拠点にして「クラフツアー」の運営、

「喫茶森」の店舗を活かしたシェアキッチンの運営にあたっている。

 

〇金融機関に入行して順風満帆の人生のように思えますが、なぜ、銀行を退職して加賀市地域おこし協力隊に

 応募したのですか?

銀行員として行っていた事業支援は、お金を貸すとか、コンサルティング業務とか、限定的でお客様との間に

距離がありました。

それよりも、より一人ひとりの人生に踏み込んで一緒に起業支援を行うような仕事がしたいと感じていました。

当時、加賀市では地域おこし協力隊の活動として、地域資源を活用した10プロジェクトの事業化を目指す

取り組みが行われようとしていて、起業を目指す10名を支援する役割の協力隊員の募集をしていました。

「自分がやりたい仕事はこれかもしれない」と感じて、応募しました。

 

〇月々の給与はずいぶん減ったと思いますが、迷いはありませんでしたか?

給与は半分近くになったので、気にしないと言えば嘘になりますよね。

僕が勤めていた銀行は公務員的な性格があったので、給与は安定していました。

でも、「何歳になったら、これくらいの給与がもらえる」と人生の逆算ができてしまって、

それ以上は望めませんでした。

会社が自分の人生を決めるところに物足りなさと違和感を感じていました。

当時は、「頑張って、銀行勤め以上の給与を手にしたい」という野心がなかったわけではありませんが、

今は「お金を稼ぎたい」というより、事業を軌道に乗せて従業員を雇えるようになりたいと思っています。

 

〇地域おこし協力隊としての成果をご自身ではどのように感じていますか?

 担当していた「現代版北前船プロジェクト」が形になったのは成果の一つです。

このプロジェクトは加賀市の特産品をブランド化して世に広めることを目指したもので、

山中漆器をつくる最初の工程である「粗挽き」をブラッシュアップした「ARABIKI」の商品化を

起業家と一緒に実現することができました。

また、2019年10月に初開催した山中漆器の工房を巡るイベント「around(アラウンド)」の運営に参加して、

成功させることができたのもいい思い出です。

協力隊を通して多くの山中漆器の事業者さんらと出会い、人間関係の基礎が作れたことが

今の仕事につながっていて、多くのものを得ることができました。

 

「around」の運営メンバー。後列左から3人目が篠﨑さん。

 

〇逆に、やり残したことは何ですか?

もっと起業する人を増やしたかったですね。10プロジェクトの起業を目指しましたが、

プロジェクトが継続できているのは、とても少ないのではないかと思います。

起業を目指す人の伴走者として「どうすればよかったのか?」、「夢と現実のギャップで苦しむ人たちに

もっと寄り添うことはできなかったか?」と今でも思います。

 

〇協力隊の任期終了も山中温泉に残ったのはなぜですか?

 山中温泉を出る理由がなかったからです。

山中温泉が好きだったこともありますが、協力隊としての自分に投資してくれた加賀市に

「何か形にして、返さなければ」という強い思いがありました。

同時に、起業を目指して移住したが、夢破れて去っていった協力隊の仲間たちの思いを受け継ぎ、

「自分がやらなければ」という責任感もありました。

 

山中漆器の工房を巡るツアーを運営している篠﨑さん。

 

〇そうして立ち上げたのが「クラフツアー」ですね。「クラフツアー」はどのような経緯で誕生したのですか?

 ヒントになったのは「around」です。3日間で約8,000人の来場があり、イベントは大成功。

「同じようなことを年間通してできたら」という地域の要望に応える形で起業しました。

コロナ禍でのスタートで、これまでの参加者は想定よりも下回った人数で、

経営的にはまだ軌道に乗っていませんが、旅行体験サイトなどを利用して露出度を高めて、

早く従業員を雇えるようにしたいですね。

 

「クラフツアー」の店舗。右隣にシェアキッチンの「喫茶森」が軒を連ねる。

 

〇コロナ禍で観光地はどこも大変な思いをしています。篠﨑さんはどう乗り越えていこうとお考えですか?

山中温泉は商売人の街です。この状況をどうにかしようと、新しいサービス・商品がどんどん生まれています。

都会よりも田舎の方が人と直に接する機会が多いので、頑張っている人たちの姿を目の当たりにすると、

「自分も負けてられない」と刺激になります。

商売人の方は、自分の世界観があるので、その独特のコミュニケーションでたまに苦労することもありますが、

「この場所で生きていく」というプライドが支えです。

ストレスには弱いが、すぐ立ち直れるのが自分の良いところ。明日の自分を信じて頑張ります。

 

〇篠﨑さんなりの「地域おこし協力隊はこうあってほしい」という理想像を聞かせてください。

 「協力隊としての3年間は、自分への投資期間である」と自覚してほしいと考えます。

そして、その投資は貴重な税金によって賄われていることを理解しなければなりません。

よく「協力隊になりたい」という人がいますが、これは「会社員になりたい」と言っているのと同じ。

大切なのは、「どんな仕事がしたいのか」、「どのような形で地域の役に立てるのか」を

自分なりに考えることです。

協力隊を志望する人の中には「自分はこれをやりたい」という強い思いがない人もいるかもしれません。

大丈夫です。地域に根付いて、地域の人たちと積極的にコミュニケーションしていけば、

「こんなことをすれば面白いかも」というヒントが見えてくるはずです。まさに自分がそれでした。

とにかく「自分への期待に応える」、「地域のニーズに向き合う」という気持ちで

3年間を過ごしてほしいですね。

 

「協力隊の3年間は自分への投資期間」と語る篠﨑さん。

 

〇コロナ禍で地方への移住が注目されています。この状況をどうお考えですか?

いい流れだと思います。今は通信環境さえあれば、どこにいても仕事ができます。

でも、部屋に閉じこもって1日中パソコンの前に座っているだけなら、地方に移住する意味はあまりないと

感じます。

移住するのであれば、地方の文化を楽しんで欲しいし、そこに暮らす人たちと交流して欲しいですね。

地方の魅力は、そこに暮らす人の魅力だと思います。加賀市も人口減少が課題です。

「篠﨑と出会って加賀市に移住を決めた」という人を1人でも増やせるよう、スピード感を持って

山中温泉の振興に取り組んでいきます。