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特使のご紹介

小津 誠一さん

小津 誠一

金沢市出身。平成24年に東京から金沢にUターンし、建築設計や飲食店、独自の視点で魅力ある物件を紹介する不動産サイト「金沢R不動産」を運営。金沢暮らしの魅力をPRするサイト「Real Local」の運営や、住民が普段使いする飲食店等を掲載した「金沢試し住みのための地図」の作成・配布、移住をテーマにしたトークイベントの開催にも取り組む。

インタビュー

何かを変えたいと思うなら、まず自分から中に入ること。

有限会社E.N.N./金沢R不動産 代表 小津誠一さん

金沢市で設計事務所・不動産会社の代表を務める小津誠一さんは、事業として金沢への移住促進にも力を入れています。なぜ、いち企業が移住支援に取り組んでいるのでしょうか?また、自身もUターン移住者である目線から、金沢での仕事事情もうかがってきました。

小津誠一(こづ せいいち)さん。金沢市出身。武蔵野美術大学建築学科卒業。東京の設計事務所に勤務後、京都の大学で建築教育に携わる。1998年に京都で「studio KOZ.」を設立し、2003年には金沢で「(有)E.N.N.」を設立。東京と金沢の二拠点生活を開始する。東日本大震災を機に金沢に本拠地を移す。

東京と比べない、自立した街に暮らして。

東京を拠点として建築の仕事をしていた小津さんが、金沢に戻ってきたのは2012年のこと。「この街が嫌で東京に出た」と話す小津さんがUターンに至る心の変遷には、大学の講師として京都で暮らした経験が大きな影響を与えたといいます。
「京都の人は、東京や他のどの都市とも比較することなく “京都は京都なんだ”という自意識を持っています。そのプライドがあるからこそ、京都は1200年もの間、止まることなく現在進行形の街でありえたのだと思うんです。京都で暮らすうちに、“金沢も、他所のどこでもない街になれるのでは”と考えるようになっていました」

住む場所は、もっと自由でいいはずだ。

そんな中、2004年に金沢21世紀美術館ができたこと、そして2011年に東日本大震災が起きたことが、小津さんが移住を決断する決定打となりました。

金沢21世紀美術館。(写真提供:金沢市)

「街のど真ん中に美術館ができる。それも現代アートの美術館だと聞いて、ひょっとすると金沢が変わるかもしれないぞ、という予感がありました。そこで、東京に拠点を置きながらも、金沢での仕事を増やしていた時期に、東日本大震災が起きて。機能停止に陥った真っ暗な東京の街を見て、“もう東京にこだわって住まなくてもいいのでは?”と思い立ちました。すでに自分の片足が金沢にあったので、2012年に住まいも仕事の拠点も金沢に移しました」

金沢市の「新竪町商店街」にあるオフィスの前でスタッフとともに。

いつのまにか始めていた “移住支援”。

「有限会社E.N.N./金沢R不動産」では、「reallocal金沢」という金沢の地域情報を発信するウェブメディアを運営したり、「KANAZAWA TRIAL STAY MAP」という試し住みのための地図を制作したりと、移住者向けの様々な活動を事業として行なっています。しかし、当初は「移住支援をしている意識はなかった」と話します。
「事後的に、自分たちが移住支援をしていることを認識したというか。『金沢R不動産』を運営する中で、僕らのお客さんの半数が、東京からのUIJターン者だということに、ある時気がついたんです。そうか、僕らは移住者の住まいや、新しい仕事をつくることのお手伝いをしていたんだと」 そこで、住まいとしての不動産情報だけでなく、仕事や人、ハブとなる拠点など、移住を決断するために必要な地域情報も併せて発信できないかと、全国のR不動産の仲間たちと共に「reallocal」を立ち上げます。

「realloca」のウェブサイト。「人」「仕事」「イベント」「地域情報」など、様々なカテゴリーがある。

「ステレオタイプな型にはまらず、ありのままの多様な金沢を伝えたいと思っています。街って、A面に対してB面があったり、そういう軽やかな裏切りがある方が楽しいし、そこをおもしろがってくれる人たちに来てもらいたいと思うんです」

試し住みのための地図「KANAZAWA TRIAL STAY MAP」も発行。現在も配付中。

急いで決めない、 “金沢の知恵”。

長らく東京で仕事をしてきた小津さん。金沢に移住してきて感じたギャップが、ある気づきを与えてくれたといいます。 「東京にいたときは、何でも“速いに越したことはない”と思っていたんですね。だから、移住当初は、金沢で物事の進むスピードが遅く感じて、戸惑った時期もありました。けれど、北陸新幹線が開業した今、改めて思うのは、 “性急に物事を決めない”ということはとても大切だったんだなと。例えば、地方によっては、流行りのまちづくりの手法に飛びついて、取り返しがつかなくなっている街もある。けれど、そういう意味では金沢は腰が重くて、新幹線開業に向けても、過剰に反応はしなかった。その姿勢が、金沢の街並みを残してきたんだと思うんです。一度じっくり飲み込んで、内発的に動こうと思うまで動かない 。そういう“ゆるさ”って、金沢の知恵だったんだなと」

スピード感の違いは、建築家としての “仕事の質”にも影響を与えているといいます。
「東京は消費のスピードがあまりにも早すぎる。例えば、東京ミッドタウンができる前にどんな建物が建っていたか、ほとんどの人は忘れている。建築も建築家も資本経済のサイクルの中で、瞬く間に消費されている感じでした。そこにきて金沢では、長いスパンで建築が街にどんな影響を与えるのかを見守れるし、建物自体として評価してもらえるので、仕事のやり方も変わったと思います」

クリエイターは移住向き

地方にはいわゆる“クリエイティヴ”な仕事がない、という声はよく耳にしますが、実際に金沢で仕事をしてみて、感触はいかがでしょうか。
「もともと金沢の人は、ものづくりに対しての感度が高いので、求められるクオリティーは高いです。なので、能動的に動けばクリエイティヴな仕事はあると思いますよ」。
また、1997年から22年間続いた、テクノロジーを用いたクリエイティヴの祭典「eAT金沢」(現在は終了)が開催されるようになり、特に2005年あたりから、デザイナーなどクリエイティヴに携わる人の移住が増加したといいます。
「パソコンさえあれば身一つで移住してこられるという意味では、クリエイターは移住しやすい職種といえるかもしれません。またアメリカなどが典型的ですが、寂れた街が面白くなるときって、クリエイターがドッと移住してきた例が多いんですよね」。

2017年には金沢にサテライトオフィスを設ける東京のデザイン会社「Hotchkiss」代表の水口克夫さんと「僕らが金沢で仕事をする理由」というトークイベントも東京で開催。

地方で何かするなら、まずはコミュニティと接続すること

「ただ、金沢に限らず、地方はビジネスにおいてもプライベートにおいても、ローカルなネットワークが強い。だからこそ、面倒臭がらずに自分からその中にコミットして行った方がうまくいくし、何かを変えたいと思うなら、独立独歩ではなく中に入って変えた方が早いと思います」と小津さんは続けます。
「それはコミュニティに同化しなくてはいけないという意味ではなく、懐に入った上で、自由に発言し、自由に動けばいい。金沢はそういった都市としての寛容性はある街です。移住者側が地元コミュニティと距離を持っていると、金沢の人も心を閉ざしてしまうので、まずは移住者側からコミットするということが大切な気がします」

小津さん自身、NPO法人や町会にいたるまで、様々な団体に所属している。「昔だったら僕も一匹狼を気取ってたところでしょうけど(笑)、そこは移住して変わったところかな」

最後に、移住者に向けてメッセージをお願いします。

「前田利家公はじめ、歴史的に見ても、金沢は外から来た人が、街や文化をつくってきたという側面もある街です。これからも、金沢におもしろい人が集まってきてくれたら、きっと街も、僕ら自身もおもしろくなるんじゃないかと期待しています。金沢に来られることがあれば、新竪町商店街のオフィスにぜひお立ち寄りください」