辻屋 舞子さん
埼玉県出身。二児の母親。平成30年に夫の出身地である中能登町に福島から移住。
現在は、地域おこし協力隊として、移住定住・子育て支援等に取り組む。現在、中能登町内で農家民宿の開業へ向けて準備中。
インタビュー
移住を考えることは、“見たい未来”を描くこと。
鮮やかな赤と緑のジャージと、エネルギッシュな笑顔がトレードマークの“つじやん”こと、辻屋舞子さん。2018年に、ご主人の実家がある中能登町に移住してきました。現在は二人の男の子を一人で育てながら、「地域おこし協力隊」として子育て支援や移住サポートなどを精力的に行っています。今回は移住の経緯や、地方での子育て事情など、ママ目線でお話しいただきました。
震災を経験して知った“母の強さ”
埼玉県で生まれ育ち、埼玉県内の企業に就職した辻屋さん。同じ会社で働いていたご主人と結婚した2011年に福島県への転勤が決まり、引っ越してわずか2週間後に東日本大震災を経験します。「私たちは福島県の郡山市に住んでいたので、被害自体は小さかったんです。けれどたくさんの方が避難して来られていたので、自宅のお風呂を貸し出したりしていました」
その後、福島で長男を出産し、母になった辻屋さんは、子育て支援施設に通うようになり、いつしかサポート側として働き始めます。そこで出会ったママたちと語り合う中で、辻屋さんは“母親の強さ”を改めて感じたと話します。
「辛い状況の中でも“この場所でこれからどうやって楽しく生きていくか”、ママたちはとても前向きに考えようとしていて。いつ何が起こっても子どもを守れるようにと、パートを辞めて起業したママさんもいました」
そんな女性達が持つ可能性への確信が、辻屋さんが手掛ける子育て支援のベースとなっていきます。
移住セミナーから、人生が動き出す。
福島に限らず、今後も転勤が続くことが見越されていたご主人。そこで辻屋さん夫婦はある選択をします。
「夫の転勤に家族もついて行って、各地を転々とする人生もあったと思うんです。けれど、子ども達のことを考えたときに、“ゆるがない拠点”が一つ必要なのではないかと思ったんですね。そこで、単身赴任として夫と別々に暮らす形になっても、長男が小学校に上がるまでには移住先を見つけようと話していました」
そんな矢先の2017年12月、東京で開催される石川県の移住セミナーの案内が目に留まります。ご主人の出身県というつながりで何気なく参加。そこで能登島のコーディネーターと出会い、“地域おこし協力隊”という仕事があることを知ります。
「なんて面白い仕事だろうと。夫の実家がある中能登町でも募集はあるのかと調べたら、ちょうどあったんです。しかもずっと興味があった“古民家再生”がテーマで。こんなこともあるんだと驚きました」
そこから、辻屋さんの人生は猛スピードで動き出します。中能登町での地域おこし協力隊として採用が決まり、あれよあれよと翌年6月には中能登町に移住。実に、移住セミナーへの参加から半年足らずの出来事でした。
「子どもは騒ぐのが仕事だから」
ご主人は現在も単身赴任中。ご両親とも近いといえど家は別々なので、基本的には独力で仕事と二児の育児を両立しています。
それでも「能登に来て、育児が本当に楽になった」と辻屋さんは晴れやかに笑います。
「福島でも都市部で暮らしていたので、ずっと気を張りながら子育てをしてきました。でも中能登町に来たら『子どもは騒ぐのが仕事だからね〜』っておばあちゃん達が笑ってくれて。救われましたね。今では子ども達もご近所で勝手に遊んでいるし、窓全開で親子喧嘩もしています(笑)」
「それに今の時代、家族の形って色々あっていいと思うんです。単身赴任で夫は仕事に集中できているし、私も自分の好きなことをやらせてもらっている。子ども達も、こういう家族の形なんだって、すんなり理解してくれています」
自分から開いて行くこと
地域おこし協力隊として、3年目を迎えようとする辻屋さん。今では中能登のあちこちで“つじやん”の愛称を耳にします。ほとんど知り合いのいなかった町で、どうやってつながりを築いていったのでしょうか?
「私はとにかく自分からガンガン行こうと決めていました。会いたい人をリストアップして会いに行ったり、頼まれてもいないのに神社の掃除をしたり(笑)。最初の一年は地域行事もすべて参加して、とにかく外に出ることを大切にしていました」
今ではご近所に茶飲み友達も増え、とりとめもないお喋りをする時間が大好きなのだと笑顔をみせます。「なんだか“私生きてるなぁ”って実感するんですよね。地域の人のことを心配したり、街の未来を想像したり。都市部にいたときは、目の前のことだけに必死で、自分と直接関係のないことに想いを馳せる余裕なんて全然なかったですから」
ママからつながる座談会
辻屋さんが力を入れている子育て支援の一つに、ママたちとの座談会があります。これまでに9回開催し、現在は会場として自宅も解放しています。そこには移住者や地元出身者などの垣根なく、地域のママ達が集います。
「ママ達は本当に忙しい。だからこそ、少しでも気晴らしになるような場がつくれたらと思って最初は始めました。母親といえど、一人の人間。いろんな想いがあって当然なんです。みんなで集まって“こうなったらいいな”って未来の話をする時間を持つことで、自分自身を見つめ直すきっかけになれたら」
今後はワークショップ形式にして子ども達も楽しめるようにと企画中。「子育て支援はもはや私のライフワーク。地域おこし協力隊の任期が終わっても続けていきたいですね」
「なんかいいね」を集めた農家民宿開業へ
そんな辻屋さんの次なる目標は自宅を「農家民宿」として開業すること。2020年6月オープン予定で、取材時も開業準備に追われていました。
「『何もない町で、なんで民宿なんて始めるの』って、よく聞かれます(笑)。けど、私はそんな中能登が好きなんですよね。鳥のさえずりで目覚めるとか、星が綺麗とか、ご近所さんが柚子分けてくれるとか…。中能登町には“わかりやすい魅力”はないかもしれないけど、“なんかいいね”が詰まってる。そういう素朴な魅力を体験してもらえたら」
移住検討者にとっても、中能登町の日常を体感できる貴重な施設となりそうです。
一緒に“見たい未来”を語り合おう。
“こうなったらいいなぁ”という未来を思い描き、不思議なご縁に導かれるように次々と実現させてきた辻屋さん。移住を検討するママ達へのアドバイスをいただきました。
「移住を考えるって、自分がどんな未来をみたいのか、どんな子育てがしたいのか考える一つのきっかけだと思うんですよね。3年後、5年後、10年後、ここにいた場合と、どこかに行った場合をイメージしてほしい。ポジティブなことも、ネガティブなことも書き出してみるのがおすすめです。そのときにもし“移住”を選んだ方がワクワクするのであれば、それは例え今じゃなくても、できる範囲でコツコツ進めてみてはいかがでしょうか
話しているだけで、ポジティブなエネルギーをもらえる辻屋さん。移住に限らず、子育てなどでお悩みの方、ぜひ中能登町の肝っ玉母さん“つじやん”を訪ねてみてくださいね。