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特使のご紹介

武藤 一樹さん

武藤 一樹

岐阜県出身。平成14年に東京から移住。金沢で学生時代を過ごし、東京でCD等販売店で勤務、金沢のコーヒー店でコーヒーについて学んだ後、平成19年に現在の珈琲店を起業。農産物直売所「神子の里」を経営する会社の社長も務める。羽咋市への移住相談に対応している。

インタビュー

受けた恩を、今度は僕が、返せるかたちで。

古民家カフェ「神音」店主/農産物直売所「神子の里」代表 武藤一樹さん

近年、移住者が急増している石川県羽咋市。今回は、羽咋市に10年以上前にやってきて、この地における移住者のパイオニアの一人であり、現在「いしかわ移住応援特使」を務める武藤一樹さんを訪ねました。

武藤一樹さん。岐阜県出身。金沢美術工芸大学卒業。
東京で大手CD量販店に働きながら、コーヒーの修行を積む。結婚を機に2002年に金沢へ移住し、コーヒー豆専門店に勤務。
07年に羽咋市菅池町に移住し「神音(かのん)カフェ」を開業。
現在は農産物直売所「神子の里(みこのさと)」の代表も務める。

“人ならざるもの”の気配に魅せられて。

武藤さんが家族と共に羽咋市菅池(すがいけ)町に移住してきたのは今から12年前のこと。音楽とコーヒーをこよなく愛する武藤さんは、自身でカフェを開業するための場所を求め、3〜4年かけて40件近く県内の物件を見て回り、この土地に出会ったと言います。
「空間って、一朝一夕でつくれるものではないと思うんです。建物をプロデュースすることはできても、そこに滲み出る “味わい”や“匂い”のようなものは、作為的にはつくれない。能登全域には、何か “人ならざるものの気配”とでも言うべき空気感に包まれているのを感じました」。そして、自然栽培で自給自足の暮らしができるよう畑が隣接した物件を求め、この場所に辿り着きます。

迷ってしまったのではと、一瞬不安になるような山道の先に「神音」が現れる。
店名の「神音(かのん)」にも、 “神聖な気配”に耳を傾ける場所、というニュアンスが含まれているそうです。

昔ながらの古民家を活かしたカフェの店内。囲炉裏もある。

里山の経済は物々交換。「返せるものを、返せるかたちで」。

カフェで提供しているメニューの多くは、地元でつくられた食材を使用しています。暖炉で使う薪も「買ったことがない」と武藤さん。 「里山の経済は物々交換が基本です。周りの方が野菜や薪を分けてくれたら、こちらからはコーヒーやパンをお分けしたり。裕福ではないけれど、とても豊かな暮らしができていると感じます」。

この日のデザートは畑で採れたカボチャを使用した自家製チーズケーキ。自家焙煎のコーヒーと共に。

しかし、移住当初は十分な“お返し”ができていないことに、自責の念があったそう。 「モノだけじゃなくて、薪づくりや雪掻きといったことまで、とにかく僕らはいただくばかりで。お礼に菓子折を持っていっても『こんなんもらったら、気兼ねで次できんやろ』と受け取ってもらいえない。僕は一体何でお返しできるのだろうと、気に病みましたね」

そんなとき、お店に通っていた近所の住職から、ある言葉をもらいます。
「今はお返ししなくていい。君が一生懸命頑張っているのは、みんな見ているから。もし将来少し余裕がでてきたら、今度はあなたが困っている人を助けてあげなさい」。
この言葉が、武藤さんのその後の活動につながる原動力となっていきます。

どこかエスニックな家具が古民家と調和して独特の世界観をつくる。

コーディネーターとしての“親”の存在。

武藤さんが羽咋市に移住してきた当初、親代わりになって面倒をみてくれた人々がいます。 その一人がローマ法王に献上されたことで知られる「神子原米」の仕掛け人で、当時羽咋市役所の職員であった高野誠鮮(じょうせん)さんです。
「当時はすべてが立ち上げ時期で、『役に立ってこそ役人だ』と言って、毎日走り回っている高野さんの後ろ姿をずっと側で見ていました。僕にも『武藤くん、ここは君の真っ白なキャンバスだ。コーヒーも自然栽培も、君がしたいことはここで全て叶えられるし、君はこの土地に必要なものをもっている』と励ましてくれて。町会長や集落のご意見番の方にも『この子、コーヒー屋開くから応援してあげて!』と、顔繋ぎをしてくださいました」。

「高野さんはここをマエストロの里(芸術家)にしたいとおしゃっていました。
そういう意味では農家も料理人も、みんな独自の技術をもったマエストロなんです」

また、能登には「烏帽子親(よぼしおや)」とよばれる独自の親子縁組もあるといいます。
「烏帽子親は能登全域に昔から伝わる親子縁組で、血縁関係や戸籍上のものではなく、『この子はあの家の子になった』という集落間の合意で成り立っています。移住者にとっては、この地における“身元引受人”のイメージでしょうか。例えば、僕の姓は武藤ですが、この家は干場さんの土地なので、地域では“干場の若夫婦”という扱いになります。田舎暮らしには、細やかなルールやウェットな人間関係は付きもので、そこをどう処するべきか教えてくれる、“親”の存在は不可欠だと思います」

「神音」がある集落の風景。

移住して食べていけるかは、その人のスキル次第。

だからこそ、武藤さんは現在「いしかわ移住応援特使」として、移住検討者の相談にも積極的に乗っています。
実際に、武藤さんが移住してきてから、この集落には2組の家族が移住してきて、現在2組とも自然栽培農家を営んでいます。
「僕のことに興味をもってくださって、カフェに相談に来てくれたのが最初ですね。想いに共鳴してくれる人たちが集まってくれるのはありがたいことです」
しかし、「同時に責任も感じる」と武藤さんは話します。

カフェは夫婦で営業。武藤さんがコーヒーとカレーを、奥さんがスイーツを担当する。

「例えば、田舎で野菜を売ることは、北極圏に住む人に氷を売るくらい難しいことだったりします。うちは裕福ではないけれど、カフェをしながら二足三足のわらじを履いて家族は食べていけている。けれど、皆さんそれぞれ職業や理想など、条件が違うわけで。移住して食べていけるかは、その人が持つスキルにかかっています。だからこそ『この仕事をすれば大丈夫』といった、無責任なアドバイスはできません」。

「自然栽培の野菜の価値を地元からきちんと発信するためにも、料理ができる方が来てくださると嬉しいですね」

「神子の里」を中心に、自立した集落を目指して。

武藤さんは古民家カフェ「神音」の店主であると同時に、現在は農産物直売所「神子の里」の代表も務めています。
「『神子の里』は100%地元で出資してつくった会社で、これまでずっと黒字経営です。大黒字ではないというのが悩ましいところですが(笑)。僕たちは行政など、支援の補助輪を外しても、自立できる集落を目指しています。農産物の販売だけでなく、配食や見守りサービスを含め、ここを自立した経済の中核にしていきたいと思っています」。

農産物直売所「神子の里」

そんな先進的なビジョンがある「神子の里」は、移住相談としても訪ねてみてほしいと武藤さんは話します。「地域の物件情報は表に出ていないことが多いので、移住を検討されていても、住まいの問題で頓挫することもあります。神子の里は、地域の皆が株主なので、複雑に人間関係が絡み合う集落の中でも、ある種、公平に情報を扱える場所なんです」。

武藤さんの毎日は、午前中は「神子の里」に出勤、午後はカフェで働き、夜はコーヒーの焙煎に勤しむ。その他にも里山暮らしには様々な作業があり、目が回るように忙しい日々。それでも、武藤さんが移住者や地域のための活動を続けるのは、自身が移住当時に受けた恩義を返すこと、そしてもうひとつ、純粋な憧れからだと話します。
「周りのおじいちゃんやおばあちゃんは、人に施す余力がある。もはや無償の愛ですよね。そのかっこよさに憧れて。僕もあんな大人になりたいと、心から思います」。

トレードマークの笑顔で見送ってくれた武藤さん。

「移住するということは、“郷に入れば郷に従え”ということ。地域のしきたりを守る謙虚な姿勢が大切です。また、この集落の人たちは、地域が続いていくためにはどうするべきか、広い視野をお持ちなので、移住者はとても可愛がってもらえますよ」。移住を検討されている方は、ぜひ一度、武藤さんを訪ねてみてください。