珠洲市(三重県出身) 宗玄酒造
移住を決意させた銘酒との出会い
三重県から広島の大学、大学院へと進学し、院では酵母を使ったバイオテクノロジー分野の研究をしていました。もともと日本の伝統文化の素晴らしさを国内外に広めたいという気持ちが強く、卒業後は酵母とつながりのある「日本酒」を海外に販売することで、日本文化を世界に発信したいと考えるようになりました。そこで、全国の酒を飲んでみて、一番おいしいと感じた宗玄の蔵を訪ね、宗玄酒造の社長に「雇ってください!」と直談判しました(笑)。一度は断られたものの諦めずに熱意を伝え、営業部の一員として勤めることになりました。これが珠洲に来た経緯です。
「一生をかけて広めたい酒」が宗玄だったので珠洲に暮らすことになりましたが、美しい自然や風土に、ここに来て本当によかったと思えます。遊びに来て能登のファンになる友人もたくさんいますね。
自分を変えた珠洲での暮らし
最初は少し不安もありましたが、交友関係も広がりました。きっかけは、祭りで担ぐキリコの製作を眺めていたとき「一緒に作ってみるか」と声をかけられたこと。そこから一気に人の輪が広がりました。昔は「団体に属したくない」と思っていた僕が、今では青年団の一員として楽しく活動しています(笑)。
人のあたたかさを感じる日々
能登の人は本当にあたたかい。新鮮な魚やとれたての野菜を親戚のようにおすそわけしてくれ、家のどこかが壊れれば誰かが直してくれる。住民全員が大家さんのような「町内パワー」に驚きと感動を覚えました。それと、意外と同年代の移住者が多く、奥能登だけでも30名前後のメンバーが集まり、交流を深めています。
僕自身もそうでしたが、能登の魅力を知らない人が多い。だったら能登に来たくなる仕組みがあればいいんじゃないかと思って取り組んだのが酒米づくりです。人を募集して田植えや稲刈りを体験してもらい、収穫した米で醸した酒は、北陸新幹線の車中で提供されています。
酒造りに関してはまだまだ勉強することがありますが、いつかは「宗玄の淺田の話がおもしろい」と言っていただけるような日本酒の伝道師になりたいと思っています。