七尾市(長野県出身) 石川県漁業協同組合ななか支所白鳥定置網組合
高校生の頃から思い続けていた漁師への夢
『真田丸』で一躍有名になった信州・上田市に、生まれ育った西沢さん。海なし県の長野から漁師に転身した背景には、幼い頃の思い出があった。
「祖母が新潟県上越市出身で、夏は上越の海で遊んだり、水族館に行ったりするのが子供の頃の過ごし方。特に、新鮮な魚の美味しさが忘れられなくて、いつしか『高校を卒業したら漁師になる!』と決めていました」
しかし、いざ進路を決めるときに漁師になるツテはなく、地元で介護の仕事に就いたそう。
転機が訪れたのは2018年。職場で配置転換が必要になったときだったと振り返る。「会社を辞める必要はありませんでしたが、『この機会を逃したら、一生夢は叶えられない』と感じました」と西沢さん。
年齢は37歳になり、3人の子供を持つ一家の大黒柱だったが、「やっと漁師になれる」と、迷いはなかったそう。
最初は船の上で立つこともできず苦戦
漁師になると決めてからの動きは実にスピーディ。ホームページで「漁師 移住」と検索して、たまたまヒットした石川県漁協から白鳥定置網組合を紹介され、体験乗船したのが2018年7月。そして、9月には家族とともに七尾市に移住し、漁師としての道を歩みはじめた。「はじめて漁を体験したときは、魚種の多さに驚きました。まるで水族館のようで、感激したのを覚えています」
漁師になったものの、最初は船の上で立つこともできず、全く仕事にならなかったそう。「体力にはそこそこ自信がありましたが、陸と船では筋肉の使い方が違うのか全然ダメ。それも半年ぐらいすれば慣れて、陸と同じように動けるようになるから、不思議なものです」
西沢さんが所属する白鳥定置網組合は、「七尾市白鳥」の海岸から約500メートル沖合いに仕掛けた定置網で、ブリやアジ、イワシといった回遊魚を獲る定置網漁を行っている。出港は午前2時ぐらいで、水揚げをして4時ぐらいに帰港。魚の選別や市場への出荷、網の補修などをして、帰宅するのは10時ぐらいだ。
「一般的な仕事と比べれば、完全に昼夜逆転です。でも、前職がシフト制の勤務で勤務時間も不規則だったのに比べれば、生活リズムが一定で、子供と一緒に過ごす時間も毎日取れるので、精神的には楽かもしれませんね。
一人ひとりが命綱で結ばれている信頼感を大切に
白鳥定置網組合の漁夫は11人で、20代・30代の若い世代が8人もいる活気あふれる組合。西沢さんのような他県出身者も4人在籍している。
就業から1年半。どのタイミングで何をすべきかといったことも一通りマスターでき、ここまでは順調に漁師としての成長を感じているそう。
漁は、船頭を筆頭にみんなで力を合わせて行うが、それでも自分が獲った魚に高値がつくと興奮するそう。「船の上では、まだまだ先輩から怒鳴られることもありますが、風通しがいいので働きやすい職場です」
遠洋漁業に比べれば安全と言われる定置網漁だが、海の上では絶えず危険と隣り合わせ。「大切なのは、互いの信頼感とチームワーク。一人ひとりが命綱でつながっていることを常に意識しています」と漁師の心構えを話す。
「目標は年間売上1億円! そのためには『どうすれば魚を高く売れるか。無駄な経費をどう削減するか』をみんなで考え、実行しなければなりません。季節や天候、潮の流れで獲れる魚は大きく変わります。どんなに技術が進んでも、経験や勘といったものが物を言うのが漁師の世界。自然を相手に、毎日が勉強で、一つひとつ知識を蓄えています。
漁師を目指すのなら、必ず体験乗船を
その日その日で、魚の獲れ高や売上の上下はあるが、収入は月収制。だが、前職に比べて収入は減ったそう。「でも、毎日違う魚が獲れる漁は刺激的ですし、美味しい魚も食べられて幸せです」と、語る表情は充実感で満ちていた。
そんな西沢さんを影で支えるのが妻の明香(さやか)さん。夫の漁師への転身にも「やっと決心がついたのか」と、一切反対しなかったそう。深夜漁に出かけ、朝帰ってくる夫の姿を出迎えるたびに、「『今日も無事に帰ってきてくれてよかった』と感じます」と話す。一方、育ち盛りの3人の子供は新しい環境にもすっかり慣れ、石川弁も使いこなすほどに。以前はあまり手をつけなかった魚も残さず食べるようになったそうだ。
移住して漁師を目指す後進へのアドバイスを求めると、「就業前に絶対、体験乗船をしてほしいですね」と即答した。
「今はネットで色々と調べられますが、実際に船に乗ってみないと、自分が船に合うかどうかはわからないものです。それに1日漁に参加すれば、『ここで仕事が続けられるかどうか』もなんとなくわかるんじゃないかなと思います」
石川県漁協ななか支所白鳥定置網組合
西沢伸也さん