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外浦の未来を、子どもたちの笑顔と共に

日比 美友さん(三重県出身)

 

 

能登で暮らすことが、誰かの力になる

はじめて能登を訪れたのは2024年10月で、能登豪雨の災害ボランティアとして、輪島での活動に参加しました。

ただ、その日はあいにくの雨で、皆さんも少し敏感になっている時期だったこともあり、炊き出しのお手伝いくらいしかできませんでした。でも、その炊き出しをすごく喜んでもらえて、『こんなことでも喜んでもらえるんだ』って、すごく嬉しく思いました。

それから、月に一度くらいのペースで三重県から能登にボランティアとして通うようになりました。

長期滞在されているボランティアの方もたくさんいる中で、私は一泊しか滞在できないことが多く、『自分にできることって本当に少ないな』って、不甲斐なさを感じることもありました。

でも、地域の方といろいろお話ししているうちに、特別なことをしなくても、ここで生活して、楽しく関わっているだけでも、それが役に立つことなんじゃないかなって思うようになり、気づいたら自分自身の心もすごく満たされていました。そのうち、『能登で暮らしてみたい』という気持ちが自然と大きくなって、2025年5月に珠洲へ引っ越してきました。

 

子どもと地域をつなぐ、小さな拠点

私は三重県で生まれ育ち、ここに来るまで保育士として働いてきました。今は「N P O法人外浦の未来をつくる会」で様々な活動をしています。

もともと農業にも興味があったので、塩田村や千枚田でもアルバイトをしながら、子どもたちの遊び場でもあり、地域の方にとっての居場所『まんまハウス』で子どもたちと関わっています。

能登ではどこも同じですが、大谷地区は過疎化や地震の影響で子どもたちが少なくなってしまいました。

ここは昔から、子どもに優しくてあたたかい地域だと聞いています。きっと地域の皆さんも、子どもの賑やかな声が少なくなっていることに、寂しさを感じる方もいると思います。

私も保育士を辞めてから、子どもたちの存在が自分にとってどれだけ大きかったのかを改めて実感しました。そして、ここで自分にできることは、子どもを通して、地域の力になることなんだと気づきました。

さらにこれからは、ここでの活動を土台にしながら、子どもたちとの関わりをもう一歩広げて、次のステップにつなげていきたいと思っています。

 

 

 

季節とともに生きる暮らしと、能登の人の温かさ

大谷地区は海岸線ということもあって、特に冬は寒さも厳しく、とても長く感じました。地元の方も冬は外に出る機会が減りますが、その分、春になると一気に景色が動き出します。あちこちで畑仕事が始まったり、山や海の恵みを採りに行ったり、自然と一緒に暮らしている実感がして、能登の暮らしは本当の意味で豊かだと思います。

私自身、山菜採りも好きですが、能登に来てからは漁業権も取ったので、これからはサザエなども挑戦してみたいと思っています。仲間と一緒に山や海の恵みを採って、食卓を囲む。そんな自然とつながる暮らしの楽しさが、ここにはありますね。

地域の人同士のつながりは本当に強いと感じます。困ったときに自然と助け合える関係があるのも、この地域の大きな魅力だと思います。

実はここに来るまで、能登をほとんど知りませんでした。でも東京で輪島大祭の写真展を見たときに、『かっこいい!』ってすごく心を惹かれて、それがきっかけで災害ボランティアに参加するようになり、こうして珠洲で暮らすようになりました。

ただ、今は子どもが少ない地域で活動していることに、少しもどかしさを感じることもあります。地域の大人やお年寄りのための活動ももちろん大切ですが、5年後、10年後を考えたときに、子どもたちが安心して過ごせる居場所がもっと増えたらいいなと思っています。

これからは、イベントでの託児などを通して『出張まんまハウス』のような形で、地元のお母さんたちの声を聞きながら、みんなでできることを少しずつ広げていきたいですね。

 

「またみんなに会いたい」その想いが生まれる場所

保育士の学校を出た頃は、将来の選択肢って意外と限られているのかな、と思っていました。でも珠洲に来てみて、その考えは大きく変わりました。子どもとの関わりは保育園だけじゃなくて、いろんな選択肢がある。地域のおじいちゃんやおばあちゃんも一緒に、みんなで子どもたちを育てる、そういう環境の中で子どもが育っていくって、本当に素敵なことだなと感じています。

子ども向けのイベントをするときも、能登は広いので遠くから来る方は移動が大変です。だから、タイムスケジュールは作らず、好きな時間に来て、好きな時間に帰れるような場づくりを心がけています。焦らずに自然や空気を感じながらゆったりと過ごしてほしいなと思っています。

能登の魅力は、やっぱり豊かな自然と、そこに暮らす人たちのあたたかさだと思います。いろいろな地域に行く機会がありますが、能登はどこへ行っても素敵な人がいて、『また会いに行きたいな』と思える人がいます。

大谷もそんな場所のひとつであってほしいです。大人だけじゃなくて、子どもたちにも『また大谷に行きたいな』『あの人たちに会いたいな』って思ってもらえるような、そんな温かい場所をこれからもつくっていけたらいいなと思っています。

 

  

 

「ご飯」は、人と人をつなぐ大切なコミュニケーション。

「まんまハウス」という名前には、三つの意味を込めています。
ありのままの自分でいられる「そのまんま」、毎日の暮らしに欠かせないご飯の「まんま」、そして赤ちゃんが初めて口にする言葉でもある「まんま」です。

なかでも私にとって特別なのは、やっぱり“ご飯”です。誰かと一緒に食卓を囲んでご飯を食べる時間は、人と人との距離をぐっと近づけてくれる大切な時間です。

ここで暮らすようになってから、みんなで食卓を囲んだり、この土地ならではの食材に出会ったりする中で、この地がどんどん好きになっていました。能登は、食を通して人の心を自然とつないでくれるような力がある場所だと感じています。

以前、地元の中学生たちが育てた黒米を使って、一緒におはぎを作ったことがありました。自分たちで育てたお米で作るおはぎは本当に美味しくて、すごく印象に残っています。

珠洲は、畑で採れたての野菜も、海の幸も本当に新鮮で豊かです。素材そのものが美味しいので、お肉がなくてもご飯がどんどん進んでしまいますね。

そんな能登の恵みに包まれて、人が集まるあたたかい時間を、ここ「まんまハウス」で大切にしていけたらいいなと思っています。

 

自分がいることが誰かの支えになる、そんな存在でありたい

私はこれまで、三重県を出るつもりは全くなくて、ボランティアとして能登に関わるうちに珠洲の暮らしを間近で見て、「あ、ここなら私、自然体で生活していけるかも」と直感しました。

ここには不思議と「生きづらさ」を感じさせない、深い安心感があります。そして、移住の先輩たちがつなぎ役になってくれて、地元の方々をたくさん紹介してくれたり、あたたかく支援してくれたりしたおかげで、今の私があります。

珠洲の人たちとのつながりは、私にとって他の何にも代えられない宝物です。思い切って自分をオープンにして地域に飛び込んでみたら、町全体がまるで「ひとつの大きな家族」みたいに温かく迎えてくれました。

当初は、保育士の資格を持っていることもあって「地域のために何かしなくちゃ!」と、勝手に使命感を感じていましたが、毎日楽しく生活してたおかげで、ここにいて笑顔で会話しているだけでもいいんだ、と思えるようになりました。

これまで珠洲の美しい自然や文化を守り、生活を支えてきてくれた方々の中には、避難先からまだ帰ってこられない方もたくさんいらっしゃいます。

「外浦の未来をつくる会」では、そういった方々がいつでも安心して帰ってこられるように、私たちがこの場所であたたかい日常を紡ぎながら、帰郷への橋渡しとなるような「つなぐ役割」を担っていけたらいいなと思っています。